Miyo's blog 『光のワルツ』 miyogarden.exblog.jp

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☆今ここにある奇跡の光と共に☆ 花を贈るような気持ちで、日々の出来事や感動体験、映画『夢みる望遠鏡』のことなど、色んなことを綴ります♪


by 幸村みよ
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天使のハシゴ♪



天使のハシゴ1














天使のハシゴ2














夕方、窓から西の空を見ると、天使のハシゴが!!

いつ見ても、感動する光景です(^^)


明日も光に満ちあふれた、すばらしい一日でありますように
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by angelgarden33 | 2009-05-31 23:56 | 感動だなあ | Comments(0)

ホンモノはどっち?



西宮神社池1















西宮神社内の池にいる鶴と亀。
鶴はニセモノですが、亀はホンモノで~す!
亀は気持ちよさそうに甲羅干ししています。
なんか、いいですよね、この風景♪
象徴的な意味も含めて、ね!


西宮神社池2
















今日は西宮神社を参拝しました。

この池で過ごす時間は、最高に癒されます。
人懐こい亀たちのおかげ大、です。


西宮神社池3






今からは花菖蒲が見頃を迎えます。
まだほとんどが蕾で、ところどころ
咲いている感じです。

四季折々、ちがう顔を見せ、
目を楽しませてくれるのも、
自然あふれる日本の神社の魅力ですね。

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by angelgarden33 | 2009-05-28 01:00 | 季節感 | Comments(0)

美しい珍客


夕方、庭に出ると、塀のところに、黒地に水色の模様が入った
美しい蝶がはねを休めているのを発見!

しばらく見とれていた後、持っていた携帯のカメラで、
あわてて撮影しました。


アオスジアゲハ






アオスジアゲハ










実物はもっときれいだったのに、暗い感じにしか撮れなくて残念…。

でも、飛んでいってしまう前に写せてよかったです(^^)v


この蝶の名前を調べました。 

「アオスジアゲハ」といいます。

南方系の蝶で、本州中部以北ではあまり多くなく、
東北南部あたりが北限とされていて、北海道では見られないとか。

アオスジアゲハの幼虫は、クスノキ科の植物の葉を食べるということ。

神社に多いといわれるのは、クスノキがご神木としてあることが多いのが
その理由です。

また、街路樹にクスノキが植えられるようになったため、
都心でもよく見られるみたいです。

クスノキ科の植物も、南方系で、アオスジアゲハの分布と、
一致するそうです。

クスノキといえば、先日のブログで、氏神様のご神木の
クスノキのことを書いたばかりです。

そして、今日、幼虫のときにクスノキの葉を食べるという
アオスジアゲハが目の前に姿を現しました。

この偶然は何?

不思議といえば、不思議ですよね。

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by angelgarden33 | 2009-05-24 00:50 | 季節感 | Comments(0)

すきあらば…


塀に風で飛んできた草の葉っぱが
ついているのかと思ったら…


塀に野草1












なんと、ブロックの割れ目に、根づいていました!


塀に野草2












まこと、あっぱれですね
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by angelgarden33 | 2009-05-20 16:55 | 感動だなあ | Comments(0)

ふだんの生活の中で、ときどき不思議な体験をすることがあります。
それをすぐに不思議だと感じることもあれば、少しあとになってから、
そう感じることもあります。
三年前の出来事も、そんな体験のひとつです。
この話はすでにHPの過去の日記(2006年10月2日・24日)の中で
ふれているのですが、そこには書かなかった猫の話も加えて、
今日はちょこっと紹介してみようと思います。


クスノキ1










上の写真の木は、実家から自転車で5~6分行ったところにある
氏神様の社殿前に立つご神木のクスノキです。
樹齢何年なのか、資料がないのでわかりませんが、
広々とした境内にゆったりと枝を広げる存在感たっぷりの巨木です。
幹の低い部分から太い枝が伸び、その表面がデコボコしていて、
つい手で撫で撫でしたくなる、親しみ感のある大好きな木です。


クスノキ2


この角度から見ると、
まるで人が両腕を伸ばして
いるようにも見えますね。





その日は、神社に参拝したあと、いつものように木に近づき、
触ったり周りを歩き、木のエネルギーを感じていました。
そして社殿から見ると裏側になる場所を歩いていたとき、
突然目の前に、ひらひらと葉っぱが一枚舞い降りてきたのです。
風はほとんどなかったので、古い葉が落ちてきたのだと思いました。
しかしそのとき、頭上に何かの気配を感じたので、たぶん鳥でも
いるにちがいないと思い、確かめるため木を見上げたのです。
ところが、いくら探しても鳥の姿はなく、代わりに目に入ってきたのは、
大きな 蛇(たぶんアオダイショウ)の抜け殻でした。
ということは、もしかすると、脱皮した蛇が木のどこかにいて、
葉っぱを落としたのかも…。その可能性はじゅうぶんあります。


クスノキ3















蛇の抜け殻は、田んぼや原っぱでよく見かけますが、
木の上で見たのは生まれてはじめてでした。しかもご神木の上です。
神社と蛇は深いつながりがあることを思い出したとたん、
急に心臓がドキドキしてきました。
(そういえば、クスノキのくねくねした枝の感じは蛇の姿に似てますよね!)
もし葉っぱが落ちてこなければ、蛇の抜け殻には気づかなかったはず。
ふつうに木を眺めただけでは、見つけにくい部分に引っかかっていたのです。
これは意味のあるメッセージにちがいない。そう思いました。
この世に偶然はないですからね。
蛇の抜け殻で連想するのは、「脱皮」「再生」…。
そうか! ピンとくるものがありました。





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by angelgarden33 | 2009-05-20 01:20 | 神秘 | Comments(0)

新創世紀と人間


昨年8月28日付のブログで、一部のみ紹介した
中川昌蔵氏の講演会(1992年12月5日)の講義録を
今日はすべて紹介させていただこうと思います。
講義中にメモしたものをあとでワープロでまとめたものです。
確か当時、中川氏はそのとき話された内容をできれば
多くの人に伝えてくださいとおっしゃられていたような…。
それで何部かコピーして、身内や友人に配った覚えがあります。
17年前の情報としてお読みいただければと思いますが
今この時代に参考になる部分もたくさんあるはずです。
お役立ていただければ幸いです。

(※画像をクリックすると拡大します)


中川先生講義録3









中川先生講義録6









中川先生講義録7






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by angelgarden33 | 2009-05-13 00:40 | スピリチュアル | Comments(0)

ギリシア秘儀の本質とは、一体何なのでしょうか?

シュタイナーは、古代ギリシアの秘儀の中には、
魂の試煉の最も深奥の秘儀に私たちを導いてくれる
叡智が働いていた、ということを述べています。

ギリシア秘儀の弟子たちは、
一方では、無限の深淵を前にしての
恐怖と認識へ導かれ、他方では、利己主義の誘惑と、
すべての本性たちへの限りない同情、共感による
利己主義の克服とに導かれました。

弟子たちはまた、同情、共感を
思考と結びつけることによって、
試煉による魂の浄化を体験しました。


ギリシアの原悲劇、原演劇は、その体験の淡い、
まったく淡い模像だったといいます。

ギリシア悲劇は、舞台での行為を通して、魂の中に
恐怖と同情を喚び起こし、その恐怖と同情によって
魂を浄化(カタルシス)するためのものだったのです。

西洋の演劇芸術は、シェイクスピアを頂点として、
偉大な発展を遂げてきましたが、それは
古代の秘儀に発する、古代の秘儀の世俗化なのです。

そして、演劇芸術を原初にまで遡ると、
エレウシス秘儀に到るといいます。

演劇は古代の秘儀から生じたのです!



人間の魂は自分の神的自己に霊の開示
与えるように定められているようです。
そして、自分の魂へのこの信頼を失わないことが
大切だということです。


シュタイナーはさらにこう言います。

人間の魂は、世界に向き合い、世界を幻影と見、
この幻影の内部に宇宙の奇蹟が秘められていると
感じ取れる方向へ向かいます。

最初の魂の試煉は驚き、不思議に思うことでした。
試煉はそれからどんどん困難になっていきます。
しかし、魂は強さを持ち続け、円環を閉じ、
そして最後に霊の開示において、
宇宙の奇蹟の意味を知り、魂は試煉に打ち克つのです。


これが人間の魂の辿る道です。


しかし、人間の魂だけがそうするのではなく、
すべての神的ヒエラルキアも、
この道を歩むことを求め、
人間の魂の中でそうしているということです。


(完)



☆あとがき☆

シュタイナーコレクション4『神々との出会い』(高橋巌訳 / 筑摩書房)の
第一部「ギリシアの神話と秘儀」の中から、特に強く心に響いてきた内容を
紹介しながら、いろいろ書いてきたこの「ギリシア神話の世界の新しい歩き方」
シリーズは、一応今回で終了します。
書きはじめた頃は、5~6回か、多くても10回くらいで終わらせようと
思っていたのですが、結局31回にもなってしまいました (^^ゞ
途中からはタイトルと内容が合わなくなり、申しわけなかったです。
読み返すたびに、新たな発見や感動に出会えるのが、シュタイナーの本の
特徴でもあります。書きながら多くを学べたことが私にとってよかったです。
物足りなさを感じられた方は、ぜひ本を読まれることをおすすめします。





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by angelgarden33 | 2009-05-07 20:30 | シュタイナー | Comments(0)

キリスト衝動は、私たちをますます遠くへ導く。
シュタイナーはそう言っています。

キリストに導かれて、私たちは、
宇宙の彼方へ向かっていくときは、
意識が分散したり、飛散したりしないで、
上の神々(真の神々のイメージにすぎない神々)の
世界を見出し、また、自分の内部へ、
私たち自身の人間本性の領域へ下降するときは、
真の神々の世界へ入っていくことができます。

内と外、両方の世界で、
私たちを超えているものを見出すのです。


そして、私たちを私たち自身の中へ導くものと、
私たちを宇宙の彼方へ導くものとは、
最後に一つの円環となるといいます。

私たち自身が最後には、
私たち自身の外で出会うのです。


外の宇宙での私たちの思いと、
内部での私たちの意志とが
一つに結ばれるのです。

そして、意志に充たされた思考、
意志する思考になるのです。


意志する思考とは、何かというと、
神々の存在、霊的本性のことです。

なぜなら意志に充たされた思考こそが
霊の本性だからです。


こうして円環が閉じられます。

私たちはこのようにして、
私たちに向かってくる
魂の試煉を通過します。

自分を通過し、意志本性の別の側へ、
宇宙の側へ近づいていくのです。



さて、ここで話が少し脇道へそれますが…

今回取り上げた、円環についての話、
「私たち自身が最後には、私たち自身の外で出会う」
という話を読んでいて、ある歌のことが
脳裏に浮かび上がってきたのです。

それは皆さんよくご存じの『かごめの歌』です!


♪かごめかごめ かごのなかのとりは 
 いついつでやる
 よあけのばんに つるとかめがすべった 
 うしろのしょうめん だあれ♪



この歌詞の解釈はいろいろあって、
本当の意味はまだ解き明かされていないようですが、
誰かが後の世まで歌い継がれる子どもの歌(及び遊び)を通して、
(宇宙と人類の進化に関する)真実を
皆に教えようとしたものであると考えた場合、
まさに、シュタイナーが論じている内容と
ぴったり一致するように思えるのです。

「上の神々」をつる(鶴)として、
「下の神々」をかめ(亀)として
表現していると考えてみてください。

かごめ(籠目)は六芒星で、つまり大宇宙。
(「かごめ、かごめ」は、「神様、神様」と
語りかけているのかもしれませんね)

かご(籠)のなかのとり(鳥)は
小宇宙である私たちの中に閉じ込められた霊性、
あるいは見霊意識。

すべるは統べる、すなわち統合。

そんな感じで見ていくと、
どうでしょう?
何かピンときませんでしたか?



(続く)


☆追記☆

鶴と亀のことを書いたら、そこからまた
ちょっとしたひらめきが起こったので、
それを書いておきます。

『鶴は千年、亀は万年』
このことわざについてです。

昔から鶴と亀は長寿を象徴する
おめでたい生き物と言われてきました。
しかし、実際には、鶴や亀は千年も万年も生きられません。
それは誰もが知っています。
ではなぜ『鶴は千年、亀は万年』ということわざが
今日まで残ったのでしょうか。
考えてみると、不思議ですよね。

おそらく古代の人々は、『鶴は千年、亀は万年』の
真の意味を、伝承として知っていたのではないでしょうか。
それが時代と共に、本当の意味は伝えられなくなり、
ちがう解釈をされて今に伝わった…。ちがうかな。

つまり、こういうことです。
先に書いたように、鶴は上の神々、亀は下の神々を
表しているとしましょう。

そうすると、『鶴は千年、亀は万年』は、
それぞれの寿命のことを言っているのではなく、
亀=下の神々が古い神々であることを
この言葉によって表現しているのではないか。
そんなふうに思えたのです。

というのは、シュタイナーはこんなことを
語っているからです。

「太陽紀に、下の神々の系統は、地球を形成する、
濃縮された要素(地、水、風の元素)の中で、
古い神々として生き続けようとしました。
一方、上の神々の系統は、上の諸世界の軽い要素
(エーテル元素と呼ばれる、熱、光、化学エーテル、
生命エーテル)の中で生き続けました」


亀について言えば、
日本の神話や、古代の遺跡のモチーフとしても
よく登場するので、それらとの関連性も含めて、
引き続き探求していきたいと思います(^^)v





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by angelgarden33 | 2009-05-05 00:55 | シュタイナー | Comments(0)

私たちの現在の意識では、宇宙の秘密は、
宇宙の奇蹟としか心に映ってきません。
なぜこうなってしまうのでしょうか?

その理由をシュタイナーは
詳しく語っているのですが、
まとめると次のようになります。


私たちが自分の思考の力で
宇宙の彼方へ向かおうとすると、
現実の神々(霊たち)のイメージでしかない
上の神々(霊たち)の領域に入っていきます。
独立していない世界の中に陥るのです。
そうなると、魂はその空虚さの前で
限りない恐怖を抱くしかありません。

一方、自分の内面に向かい、
心の深層に降りていこうとすると、
これまで「地下の、真実の神々」と呼んできた
別の神霊世界に到ります。
しかし、この神々のところに入っていくためには、
最初に、諸世代にわたって生きてきたときの
衝動、欲望、情熱、激情、本能を、
通り抜けなければなりません。
その結果、私たちは自己中心的な利己主義に陥り、
自分をこの下の神々から切り離してしまうのです。

外へ向け、内へ向けて宇宙の秘密にふれようとすると、
現在の人間意識では、厳しい魂の試煉
さらされざるをえないわけです。

(※秘教的な意味で、魂の試煉とは、高次の世界に到るために、
一定の準備のあとでなければ持つことのできない体験のことです。)



ところが、キリスト衝動に浸透されて、
現在の意識形態を作り上げることができたときは別だ、
とシュタイナーは言っています。

そのときの私たちは、この意識で宇宙の中に
入っていくことができ、まったく新しい経験を
することができるそうです。
宇宙の彼方へ、空間の彼方へ向かえば向かうほど、
私たちの意識は豊かに充実していくのです。

また、キリスト衝動と共に自分自身の中に
沈潜すればするほど、利己主義は私たちに
悪影響を与えなくなるということです。
そうすると、人間の真の本性が認識できるようになり、
人間という宇宙の奇蹟の秘密が明かされるのです。



☆ひとことメモ☆

シュタイナーが言う「キリスト衝動」とは、
人類を霊性(神性)へ導こうとする働きであり、
愛や奉仕、感謝、共存、調和、素直、謙虚…
といった心の力のことのような気がします。


(続く)




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by angelgarden33 | 2009-05-02 01:11 | シュタイナー | Comments(0)

シュタイナーは、神々の系譜には二つあり、
一方は根源的に自分自身によって現実である存在ですが、
もう一方は土星紀、太陽紀、月紀の神々の現実化した
イメージそのものだ、と言っています。
そして後者の神々は、土星、太陽、月と進化を
辿る宇宙体をとり巻いているそうです。

根源的な神々のイメージにすぎない神々と、
根源的な神々との関係は、ちょうど私たちの思考内容と、
私たちの現実の魂の存在との関係と似ているといいます。

そして、根源の神々の思考内容にすぎない神々のことを、
これまで「ルツィフェル的本性たち」と呼んできました。

ルツィフェル的本性たちは、前進する神々が自分の姿を
認識するための鏡として存在していたのです。

小宇宙的な私たちの魂の中で生じるものは、
この大宇宙の模像だということです。
ただ、大宇宙の中で生じることが、
私たちの内部では、逆になって現れてきます。

すべての無意識をも含んだ私たちの組織全体は、
根源の神々の系統に由来しますが、
私たちの意識内容は、土星紀、太陽紀、月紀を
とり巻く神々の系統に由来します。





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by angelgarden33 | 2009-05-01 23:58 | シュタイナー | Comments(0)