Miyo's blog 『光のワルツ』 miyogarden.exblog.jp

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☆今ここにある奇跡の光と共に☆ 花を贈るような気持ちで、日々の出来事や感動体験、映画『夢みる望遠鏡』のことなど、色んなことを綴ります♪


by 幸村みよ
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<   2009年 04月 ( 16 )   > この月の画像一覧



私たちの脳は、私たちのアストラル体を
立ちどまらせるための一種の道具である、
とシュタイナーは述べています。

アストラル体の所産が
脳を通り抜けてしまわないように、
それを私たちの思考内容として
意識できるようにしてくれている
道具である、と。

(※ (26) 参照)

古代の見霊意識は、アストラル体の所産だけでなく、
エーテル体の所産をも立ちどまらせていました。

その結果、古代人は現代人よりもはるかに、
みずからの本性・自己・魂の素材によって、
認識内容を充実させることができたようです。


では、なぜ私たちの認識は
こうなってしまったのでしょうか?


地球紀を生きる私たち人類は、
現在の自我意識を発達させなければ
ならなかったからです。



自我意識を確かなものにするためには、
宇宙の現実から切り離され、
孤立させられなければなりませんでした。

そのために私たちの魂は、
宇宙の現実を客観的に認識する能力を
無限に弱めなければなりませんでした。


(そして、自我意識を発達させてきた私たち人類は、
今その進化の頂点に到達しているのだと思います!)



シュタイナーは、人間の言語中枢が左脳で
特に発達している理由についてふれています。


言語中枢が左脳で特に発達しているのは、
人間はこれまでの生活上のさまざまな条件に従って、
主に右手を使ってきたからだといいます。


脳のこの部分が傷を受けたり、麻痺したりすると、
言語が使えなくなりますが、通常の右利きの人の脳を、
左手を使わせることで刺激を与えると、
たとえば幼児期であれば、そういう外からの
組織的な働きかけによって、脳は右脳の前頭葉の
第三溝に言語中枢を持つようになります。


それが事実だとしたら、
言語能力が脳の組織によって生じる、
と考えるのは非常におかしいことになるわけです。


ですから、

脳の組織が私たちの言語能力を
生じさせるのではなく、
人間の活動が言語能力を
脳に生じさせる


のです。


神々は、ヒエラルキアの霊たちは、
言語中枢を生じさせることができるように、
人間を助けてくれました。
このことによって、外から言語中枢が
創られたのです。
言語中枢は言語から生じたのであって、
逆ではないのです。



シュタイナーはさらに
このようなことを語っています。

◆地球紀の私たちは、大宇宙の形成力によって、今こういう人間として存在しています。このことは外から私たちに働きかけ、私たちに形態を与えてくれたヒエラルキア存在たちの行為の結果です。私たちは本当に、大宇宙の成果なのです。言い換えれば、今の私たちは、私たちの手足の運動、私たちの身ぶり、手ぶりの成果なのです。私たちのからだの動きは沈黙の言葉を語ります。そしてそれまで言語の能力を持っていなかった脳に、この沈黙の言語を刻印するのです。


無数の霊的ヒエラルキアが
私たちに関わっているようです。

私たちの肉体、エーテル体、アストラル体の
すべては、霊的なヒエラルキアの
大宇宙からの活動によって、形成され、
与えられた、ということなのです。


(続く)




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by angelgarden33 | 2009-04-29 01:10 | シュタイナー | Comments(0)

ひとことメッセージ


シュタイナーを読んでいて、
魂の試煉について述べられた箇所に、
こんなたとえ話が書かれていました。

私も含め、ちょうど今、多くの人に
必要なメッセージのような気がしたので、
載せておきますね。


「小さな日常生活において、たとえばある人と知り合い、
しばらくの間、この人は思った通りの人だと信じていたのに、
その人が突然別人のような態度を示したとしましょう。
そういうとき、私たちは彼から離れていくか、
それともこの点を克服して、更に信頼を保ち続けるかするでしょう。
後者の場合、私たちは友情の試煉に合格したのです」



草なぎくん、がんばれ!
多くの魂が彼を応援しているから、
きっと大丈夫だろうけどね(^^)。




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by angelgarden33 | 2009-04-25 17:11 | メッセージ | Comments(0)

心臓から脳へエーテルが流れ込んでいる。
そんな話を(23) (24)で紹介しましたが、
この流れの中にアストラル体の流れも
存在しているようです。

シュタイナーによれば、
心臓から頭への流れをよく観察すると、
エーテル体とアストラル体の両方の成分が
見出されるということです。


このエーテル体及びアストラル体の流れと、
脳が持っている機能との関連について、
シュタイナーはこんなふうに語っています。




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by angelgarden33 | 2009-04-25 01:10 | シュタイナー | Comments(0)

シュタイナーは、レムリア期に入る前、
現在の肉体のすべては、エーテル形態で
存在していた、と言っています。
当時の人間は、物質的な力を行使するときも、
エーテル形姿のままでした。

では、人間はどのような過程をたどって、
影のような姿から濃縮化を進めていったのでしょうか?

レムリア期以前の人体の影像には、
多様な流れが生じていたといいます。
高次のヒエラルキア存在たちが
働きかけていたのです。

まず、人間は高次のヒエラルキアの働きを、
下から、大地の地下から受け取りました。

レムリア期には、反芻類(※牛、山羊、羊、鹿など)を
形成した力、秘教が「牡牛」のイメージにまとめた力と
よく似た力が人体形姿に働きかけたのです。

そのあと、次第に大地の奥から、
別の力が人体に働きかけるようになりました。
それはライオン族に特に影響を及ぼした力でした。

そして、アトランティス期には、
大地から流れ出るこの力に、上から、
宇宙空間から鳥の形姿を生じさせる力、
秘教上「鷲」と呼ばれる力が加わり、
人間の中で相互に調和し合いました。

根源的な影の形姿がこれらの働きを受けた結果、
現在の人間形姿が現れたのだそうです。

哺乳類と鳥類の形態を霊的に見ると、
本質的に異なっていて、
哺乳類の場合には、アストラル体が
特に強力に発達していますが、
鳥類には、エーテル体の発達が顕著に
見られるということです。





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by angelgarden33 | 2009-04-23 01:11 | シュタイナー | Comments(2)


ブルーベリーの花












まるでスズランのような、
白く可憐な表情をしているのは、
ブルーベリーの花です♪

数年前、山に種類のちがう
3本のブルーベリーの木を
植えていたのですが、
おそらく水分不足のため、
2本はいつしか天国へ
旅立ってしまいました。

それで残った1本を
家に持ち帰ることにしたのです。
今年から植木鉢で育てています。

過酷な環境の中で
生き残った木だから、
強く逞しいんでしょうね。
今はとっても元気です!
太陽の光も水も愛情もたっぷり
与えられていますしね (^^)v

夏、実になるのが楽しみですが、
人間よりも先に鳥たちに見つけられ、
食べられてしまうかもしれません。

まあ、それも良し、ですね (*^-^*)


スミレ(ピンク)






今、わが実家の庭のあちこちでこんなスミレが
咲き誇っています♪
こちらも一見可憐なのにひじょうに逞しい花。
この生命力を見習いたい!

生きるって、こういうことなのだ、と思うのです。
生ききることこそ、大事であることを、
野草たちからよく教えてもらっています。
ありがとう!!




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by angelgarden33 | 2009-04-22 16:48 | 季節感 | Comments(0)

肉体を濃縮化させた力が、
人体組織の中で一種の逆転を生じさせて、
血液の最も精妙な部分は、ふたたび融解され、
エーテル成分に変化しつつある。

前回取り上げた、この血液のエーテル化の話、
気になりますね。
人間の霊化過程がすでに始まっている、
ということですから。

シュタイナーは
「人類の未来の見霊能力の準備こそが、
私たちの神智学なのです」
とはっきり述べています。
(今から約100年も前に、です!)

では、血液のエーテル化と
アセンションとの関連はどうなのか…。
その問題も気にかかりますが、
とりあえず、血液のエーテル化についての
シュタイナーの説明を引き続き紹介します。





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by angelgarden33 | 2009-04-19 02:14 | シュタイナー | Comments(0)

私たちは魂の深層に宝を秘めている。
シュタイナーはそう言っています。
それは、かつて神々が人間の中に組み入れてくれた、
神々のからだ、神々の実質のことです。
どんな人の中にも、その神々の成分が、
魂の奥底に備わっているのです。

この宝を意識の表面に引き上げるとき、
私たちは多くの不調和を自分の中に発見します。
なぜ私たちの内部は、こんなにも不調和なのでしょうか?
不調和を抱えることに、どんな意味があるのでしょうか?
このことは人類の進化そのものと
大いに関連しているようです。

その人類の進化について、
シュタイナーは詳しく語っているので
今日からはそれを紹介したいと思います。




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by angelgarden33 | 2009-04-17 02:04 | シュタイナー | Comments(0)

自分自身の本性へ到るために、
聖なる秘儀の伝授を受ける者にとって、
必要なことをシュタイナーはいろいろ論じています。

たとえば、次のようなことです。

◆通常の意識の所有物はすべて脱ぎ捨てなければなりませんが、それでもこの通常の意識の中の健全な常識は、担い続けなければなりません。そしてまったく別の観点から、この健全な常識を用いて判断できなければなりません。


◆通常の意識を断念することなしには、秘儀参入者であることができません。通常の外的世界の中で役に立つことを断念しなければなりません。そしてすでにそのとき現れてくる「魂の試煉」は、通常の外界から霊界への途上でも健全な常識を失わないでいることであり、しかも健全な常識を保っていたときに深い事柄だと思えたものを無価値と見なすことなのです。ギリシアの秘儀参入者にとって、外的な社会で体験してきたすべてを脱ぎ捨てて、まったく別な魂の在り方に到ることが必要でした。そしてこのことは現代の秘儀参入者にとっても必要なのです。



完全な自己に到るためには、
通常の知の在り方を断念しなければならない。
そういうことを言っています。

論理的に完璧であることは、
高次の関連においては、論理的に
この上なく不完全であることのようです。

(論理的にこの上なく不完全か…。
古事記の神話世界は、まさにそんな
イメージがありますよね!)


では、この秘儀の意味において、
ディオニュソスは、何者だったのでしょうか?

ディオニュソスは、見霊意識の前だけに現れる、
眼に見えない、偉大な教師だったのです!

若きディオニュソスは、
ディオニュソス秘儀参入者たちの
真の教師でした!


さらにまた、若きディオニュソスは、
その魂を一定の時期にふたたび個々の人体に
受肉させて、生まれ変わりました。

のちのギリシアにも新たに生まれ変わって、
プラトンになったといいます。
そして、ディオニュソスの賢い師シレノスは
ソクラテスになったそうです。

秘儀の衰退期に入り、秘儀参入者たちの中でも
若きディオニュソスを霊視できる人がいなくなったとき、
この同じ若きディオニュソスがプラトンとなって、
賢いシレノスであるソクラテスの弟子になったのです。


プラトンがディオニュソスで、
ソクラテスがシレノス!?

この生まれ変わりの話は、
何だか妙に説得力を感じます…。


(続く)




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by angelgarden33 | 2009-04-15 01:02 | シュタイナー | Comments(0)

脳にはどんな意味があるのか…?
シュタイナーの説明の続きです。

◆思考内容は、脳の中には入っていきません。入っていくと考えるのは、まったくのナンセンスです。それらは脳の働きによって映し出され、ふたたびエーテル体、アストラル体、自我に投げ返されます。私たちが自分で生み出し、脳によって私たちに意識されるようになった像は、地上を生きる私たちの魂の営みを表しています。けれども、鏡の前に立つ私たちが、鏡の奥に存在してはいないように、脳の中には思考内容の何ものも存在していないのです。


◆しかし脳は非常に複雑な鏡であって、部屋の姿見のように単純ではなく、私たちの思考内容を生み出しはしなくとも、魂に投影するという複雑な働きをしなければなりません。そのためには、地上の人間が思考内容を生み出す以前から、思考を映し出す準備をする必要がありました。その準備は、土星紀、太陽紀、月紀を通して行われました。その結果として、現在の私たちは、身体を持ち、脳を持っているのです。ですから脳は、多くの霊的ヒエラルキアの働きの成果なのです。地球紀の進化の始めに、人間は物質から脳を形成することができました。その脳は、人間の内面と身体の環境世界とを映し出す装置となることができました。



古代ギリシア人は、大地に由来する働きであり、
脳を形成する働きであるものを、
小宇宙である人間と結びつけて
「ディオニュソス原理」と名づけたそうです。

そういうわけで、ディオニュソスは私たちの
身体機能を私たちの精神生活の鏡にするために、
身体内で働いているのです。


この認識過程に真剣に向き合い、
認識を人生の課題であると思えたとき、
私たちは大きな「魂の試煉」を迎えます。
その試煉は、太古からの偉大な叡智の言葉
「汝自身を知れ」が、この認識過程から
響いてくるとき、現れます。


私たちは自分自身を認識しようとしても、
鏡に映し出された像としての思考生活以外は
何も知ることができません。
鏡の奥に入っていくことはできないのです。
なぜなら、私たちが境界にまで到ると、
魂の営みのすべてが投げ返されてしまうからです。
ちょうど鏡の中で人間の姿が映し出されるように。

それゆえ、自分自身を認識することは不可能、
ということになってしまうのです。
魂は、厳しい試練の前に立たされます。

神智学的に言えば、
「顕教的に達成できる外的な認識は、
どんな認識であれ、自己認識に導くことは決してない」

ということです。


それでは、鏡の装置の奥にまで入っていく
手段はあるのでしょうか?

かつてそれは、秘儀の中で行われました。
そこでは、私たちの身体組織に映し出される
通常の魂の営みとはまったく無関係なものが
伝授されたそうです。


(続く)




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by angelgarden33 | 2009-04-14 00:59 | シュタイナー | Comments(0)

ゼウス、ポセイドン、プルートー、アポロン、
マルス(アレス)などの、いわば上の神々と結びついた
すべては、外界の顕教的な観点で捉えられていますが、
ディオニュソスの形姿と結びついたものは、
聖なる秘儀の中に隠されており、十分な準備を
重ねた人たちだけにその内容が伝えられたといいます。

霊的な認識を求める人間の魂の運命と、
その人間の受けなければならない試煉が、
ディオニュソスの名と結びついた秘儀によって
照らし出された、ということです。

ディオニュソスの形姿と魂の試煉との
関係を知るには、あらかじめ認識する
人間の魂を考察しておく必要があるようです。


そもそも私たちは認識を、
何によって得るのでしょうか?

シュタイナーは、人間は魂の中で、表象し、
思考するのでなければ、決して認識を
獲得できない、と言っています。

確かに、認識に際して脳は働きますが、
認識の主要部分は思考活動という
魂の内的作業だということです。


では、この思考活動の内容は、脳の働きと
どういう関係があるのでしょうか?

その問いに対するシュタイナーの答えはこうです。

◆脳は肉体の一部分ですが、思考内容、イメージ内容はすべて、肉体にまでは到らず、人間本性の三つの高次部分、つまり自我とアストラル体とエーテル体の中で働いています。イメージ内容、思考内容が物質である脳の中で生じることは、ありえないのです。


◆今日の哲学者、心理学者の依拠している通俗的な真理は、私たちが認識している間、脳の中にいろいろな経過が生じていることを教えています。確かにこの通俗的な真理は、正しいですし、否定することは許されません。しかしイメージそのものは、脳の中には存在していません。



すると、脳にはどんな意味があるのでしょうか?
そもそも物質的、身体的な組織は、認識にとって、
思考活動にとって、どんな意味があるのでしょうか?

シュタイナーは比喩を用いて、
次のように説明しています。

◆イメージ作用、思考作用と脳の働きとの関係は、人間とそれを映し出す鏡との関係に似ています。部屋の中にいる私たちは、初めは自分の姿を見ていませんが、姿見の前に立つと、自分の姿がそこに見えます。脳が考える、と主張する人は、鏡に関して、こう主張するようなものです。---「私は今いるところにはいない。私は鏡の奥に佇んでいる」。


◆しかし人はすぐに、鏡の奥には誰も佇んでおらず、鏡はただ鏡の外にあるものを見えるようにする装置にすぎないことを納得させられますが、物質的な身体組織についても、同じことが言えるのです。脳の働きを通して現れるのは、人間本性の三つの高次部分の内的、超感覚的な活動なのです。しかしその活動を人間が意識するためには、脳という鏡がなければなりません。超感覚的なものを知覚するには、脳の鏡が必要なのです。現在の人間は、鏡を必要としているのです。


◆人間は自分の思想を思考するのですが、もしも現在の人間が身体組織という鏡を、つまり脳を持っていなかったら、その思想を何ひとつ意識できなかったでしょう。けれども近代の生理学者または或る傾向の心理学者が認識の問題を論じる仕方は、誰かが鏡の中に現実を見出そうとするのによく似ています。



(続く)




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by angelgarden33 | 2009-04-13 02:04 | シュタイナー | Comments(0)