Miyo's blog 『光のワルツ』 miyogarden.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

☆今ここにある奇跡の光と共に☆ 花を贈るような気持ちで、日々の出来事や感動体験、映画『夢みる望遠鏡』のことなど、色んなことを綴ります♪


by 幸村みよ
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2009年 03月 ( 12 )   > この月の画像一覧



シュタイナーの説く「ディオニュソス伝説」の続きです。


ヘラにそそのかされた巨人たちによって
ばらばらにされたディオニュソスのからだの中から、
心臓だけがパラス・アテナによって救い出され、
ゼウスに捧げられました。

もしも、パラス・アテナが救済に乗り出さず、
ヘラの思うとおりに事が運んでいたとしたら、
どうなったでしょうか?

その場合、人間は、一人ひとりの自我が
自分の身体に閉じ込められたまま生きるしかなく、
低次の利己的な衝動(食欲や性欲…など)を
もっぱら発達させただろうと、
シュタイナーは述べています。

しかし、私たちの人間本性の中には、
低次の衝動を乗り越えていく力が存在しています。

そしてその力とは、身体を維持するために
必要な食欲や、種を保存するために必要な性欲とは
別の熱狂を発達させることのできる
心臓の力のことなのです。


パラス・アテナが救い出したディオニュソスの
心臓はゼウスに捧げられました。
するとゼウスはそれを自分の腰に隠したといいます。

これは、古い見霊意識が人間の中に生じたあと、
身体の本性と混ざり合ったことを、
ディオニュソスの本性がゼウスの腰に隠されたと、
表現されているのだそうです。


その後、第二のディオニュソスが現れるのですが、
その事情をシュタイナーは次のように語っています。

◆ばらばらにされたディオニュソスの心臓から、愛の飲み物がセメレのために造られました。そしてこの飲み物によって、セメレはゼウスと結ばれたのです。言い換えれば、死すべき人間の女とアストラル体の力であるゼウスとの結びつきが生じたのです。ですから、実際、かつての人間が月紀に由来する存在と結びつき、そこから現代の人間が生じたのです。この人間は、ゼウスとセメレの息子である若きディオニュソスの中に、その大宇宙的な対応像を持っているのです。

セメレはテーバイの王カドモスの娘です。
若いディオニュソスが現れるためには、
人間の母親セメレの関与が必要でした。


では、この若いディオニュソスについて、
ギリシア神話は何を語っているのでしょうか?

シュタイナーはこう説明しています。

◆このディオニュソスは、ヨーロッパからはるか遠く、インドにまで旅を続けました。そしていたるところで、人びとに学問や農耕やブドウの栽培を教え、アラビアを渡り、さらにエジプトを通って帰ってきました。知的な文化はすべて、若きディオニュソスのこの一行と結びついているのです。ギリシア神話によれば、私たちが「知的文化の普及」とただ冷たく抽象的に述べている事柄、農耕とブドウ栽培と学問、さらには文字などの普及のために、若きディオニュソスの諸国遍歴の旅について語っているのです。

古代ギリシア人は、若いディオニュソスを、
知的な自我の大宇宙の対応像として、
諸国を遍歴する知性であると考えたようです。


ペルセポネとゼウスの間に生まれた純然たる神である
古いディオニュソス、ディオニュソス・ザグレウスは、
アトランティス人として、アトランティス期の
人間の中で生き、活躍していました。

一方、セメレとゼウスから生まれた、
半分神で半分人間のような若いディオニュソスは、
後アトランティス期に、先史時代のギリシアに生まれ、
人間と同じ肉身をまとってこの世を生きました。
彼は古代ギリシアの英雄たちの一人でした。

そして彼は、アジアからインドまで遍歴の旅を続け、
聖仙(リシ)たちに由来する部分を除く、
インド文化の大部分をもたらしたのです。

人間として生きたディオニュソスの姿は、
奇妙な従者、神話がシレノス、ファウヌスと
呼ぶものたちに伴われています。
この一行は大部隊となってアラビア、リビア、
トラキアを通り、一廻りしてギリシアに戻ってきました。

若きディオニュソスは、古代ギリシアの先史時代の
実際の人間だったのです。

そして彼が地上の死を遂げたとき、
その魂は人類の知的文化の中に注ぎ込まれました。

若いディオニュソスの魂は、
大学の授業内容に眼を向けても、
近代産業の機械に眼を向けても、
銀行や証券会社の活動に眼を向けても、
それらのいたるところで生きている、と
シュタイナーは語っています。

若いディオニュソスの魂は
今も生きているのです!!


シュタイナーの二人のディオニュソス論、
どうですか?
なかなか興味深いですね!


ところで…
若いディオニュソスは、
知的な自我の大宇宙の対応像として、
諸国を遍歴する知性であるということですが、
このディオニュソスと似たような伝承を持つ
神様が記紀神話にも、いましたよね。

その神様というのは、島根県の出雲大社に
鎮座する縁結びの神としても有名な
「大国主命(おおくにぬしのみこと)」です!

オオクニヌシ命は、スクナヒコナ命と
コンビを組んで全国をめぐり、
国土開発事業をはじめ、農業技術の指導、
温泉の開発や病気治療・医薬の普及、
禁厭(まじない)の法を制定、
といった数かずの事業を行いました。

オオクニヌシ命の神格は、
国造りの神(文化神)、農業神、商業神、
医療神、縁結びの神 です。


若いディオニュソスとオオクニヌシ命。
もちろん細かい働きは同じではありませんが、
役割が似ている神様ですよね!
ふと、そのような印象を持ちました。


(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-31 01:54 | シュタイナー | Comments(0)

古代ギリシア人は、
宇宙空間の中に働く自我の力の代表神を
ディオニュソスと呼んでいました。

そのディオニュソスは、実は二人いるのです。

古いディオニュソス(ディオニュソス・ザグレウス)と
若いディオニュソスです。

ゼウスとペルセポネの子である古いディオニュソスと、
ゼウスとセメレの子である若いディオニュソス。

この二人のディオニュソスの神話は、
古い見霊意識が新しい知的な自我意識へと
発展するさまを描いているのだと、
シュタイナーは言っています。


人間は、現在の自我意識に到る前、
通常は見霊意識を持っていました。

しかし、自我意識を発達させるためには、
かつての見霊意識を一度否定しなければ
なりませんでした。

そのために人間は、宇宙の現実から切り離され、
孤立し、自分だけで、自分の自我だけで
生きなければならなくなり、
現代人の魂の中に、合理的な自然法則が
生じなければならなかったのです。


では、地球紀の人間意識はどのように
形成されていったのでしょうか。
シュタイナーは次のように語っています。

◆人間意識は、レムリア期では、まだ月紀の意識によく似ていました。人間は自分の身体のことを反省したりはせず、空間の中に流れ出ていました。その後人間は次第に自我を伴って身体内に入っていきました。アトランティス期の人間意識は、まだかなり身体外にありましたが、次第にその意識が肉体の中に入っていったのです。このことは地球紀の進化の意味を私たちに示しています。

アトランティス期の人間意識は、
肉体の外にあったと言っていますね。
当時、自我はまだ肉体の中に組み込まれて
いなかったのです。


この自我というのは、
知的な力を持つ現在の自我ではなく、
現在の自我の先行者である
古い見霊意識のことで、
その力を大宇宙的に考察すると、
古いディオニュソスになるようです。


ギリシア神話では、ディオニュソスは、
嫉妬深いゼウスの妻ヘラにそそのかされた
ティタン(巨人族)たちに襲われ、
八つ裂きにされてしまいます。

この八つ裂きにされたディオニュソスの意味を、
シュタイナーはわかりやすくこう説明しています。

◆今は宇宙の奇蹟によってしか起こり得ないことですが、身体に閉じ込められた私たち一人ひとりの魂が宇宙空間の中に拡がっていったとします。そのとき、その魂は互いに融合するでしょう。もはや個別的には存在し得ないでしょう。ここにいらっしゃる方々(※会場でシュタイナーの講義を聞いている方々)は、それぞれ魂を別々に所有しておられますが、上の世界では魂と魂が混ざり合い、私たちが一体となって存在しています。
もしもそのような高められた統一意識から、魂がふたたび個々の身体に入っていくとき、この統一体はどうなるでしょうか。統一した魂はバラバラにされて、今ここに座っていらっしゃる多くの方々の身体の中に入っていくのです。そのときの感情を、どうぞ心に思い描いてみてください。ギリシア人の魂は、個々の魂が互いに結びついて統一体をなしていたときの意識を知っていました。そのときの人間の魂は、地上を覆い、基本的に互いに自分を自我存在として区別し合うことはなかったのです。時代が経過していく間に、自我存在は統一した在り方をやめ、一人ひとりの身体の中に別々に浸透していきました。
この魂の在りようの変化がみごとな仕方で、ギリシア神話の八つ裂きにされたディオニュソスとして表現されています。ギリシア神話は、繊細な感受性をもって、ディオニュソス伝説の中に、一方ではゼウスの姿を、他方ではヘラの姿を織り込みました。



また、ゼウスとヘラの由来についても
語っているので、紹介しておきます。

◆ゼウスは大宇宙の力の中心であり、その力の対応物であるアストラル体の中に働く魂の中心でもあります。この魂の力は、月紀に由来しています。ゼウスもまた月紀の出身なのです。そのゼウスがディオニュソスの出現に関与しているのです。つまり古いディオニュソスは、ゼウスとペルセポネの間に生まれた子なのです。ですからゼウスは、ディオニュソス出現との関連で言えば、統一的な力、未分化の力、まだ分断されていない働きを表しています。


◆ヘラは別の由来を示しています。ヘラはゼウス自身よりも霊的な発展においては、本質的により先に進んでいました。ゼウスは停滞していましたが、ヘラは地球紀に、更なる発展を遂げました。ゼウスは月紀に留まり、月紀に依存していましたが、ヘラは更に進んで、地上で用いることのできる諸要素を自分のものにしたのです。ですから人間の個体化、つまり分断を生じさせるルツィフェル存在に属しています。


◆ですからヘラは、しばしば嫉妬深い女神とされています。嫉妬は個性が区別されているときにのみ生じます。自分たちが一体であると分かっていたら、嫉妬は生じません。ヘラは特殊化、個体化、個別化を促進する神々に属しています。ですからディオニュソスがバラバラにされるべきときには、ヘラが関わっています。一方そのディオニュソスが生まれたのは、ゼウスとペルセポネとの交わりの結果でした。


◆古い人間が統一意識という見霊意識を持っていたとき、ヘラは個別化する神として働きました。それが比喩的に、嫉妬深さとして表現されたのです。ヘラは大地の力を体現している神々、つまり巨人族を呼び集め、古い統一意識をばらばらにして、個々の身体に入っていけるようにせよ、と命じました。しかしこのことの結果、意識が宇宙から切り離されてしまいました。


では一体、何が人間をこの個別化から
救ってくれたのでしょうか…?

それは、思考内容と想像力によって作り上げた
知的な世界像、知的な叡智こそが、ばらばらにされた
ディオニュソス(身体の中に入った古い統一意識)を
救ったのだと、シュタイナーは述べています。

こうしてパラス・アテナが、ヘラにそそのかされた
巨人たちによってばらばらにされた
ディオニュソスのからだの中から心臓を救い出し、
それをゼウスにもたらした、という
ディオニュソス伝説が生まれたということです。


ここで、話は飛びますが、
ギリシア神話のこのディオニュソス伝説は、
スサノオノミコトが出雲国の簸川の上流で
八つの頭と八つの尾を持つヤマタノオロチを
退治して奇稲田姫を救い、その尾を割いて
天叢雲剣を得たという記紀神話と
類似しているように思われませんか?

神話の根源は同じであると考えれば、
スムーズに納得できそうです。


(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-29 01:52 | シュタイナー | Comments(0)

ここからはまた、ギリシアの神々に
眼を向けたいと思います。

人類を導くときのギリシアの神々は、
どのヒエラルキアに属しているのか…?

この問題に対して、シュタイナーははっきりと、
「ギリシアのゼウス系の神々は、
そのすべてがルツィフェル存在に属している」

と言っています。

その理由は、ギリシアの神々が地上生活から
期待していたことを見ると、この神々の進化が
月紀に完結しておらず、人間と同じように、
地球紀に進化を遂げようとしていると
思わざるを得ない、というのです。
その神界全体が、ルツィフェル原則を持っていて、
月紀が終わったときにも、まだ進化を完全には
達成していなかったことを、古代ギリシア人は
感じていたのだと言います。


一方、古代ヘブライ人の場合は、
エロヒムとその頂点に立つヤハウェが、
月紀において進化目標を完全に達成した神々であると
はっきり意識していたのだと述べています。


ギリシア人の意識は、地上の人間生活を大切にし、
地球の提供するすべてを人間生活の中に
取り入れようとするので、自分の問題に関わっている
神々のヒエラルキアに親しみを感じるのです。
この神々は、地上生活の諸要素を
自分自身の進化のために利用するために、
できるだけ人間のことをかまおうとしません。

それに反してヘブライ人の意識は、
完全にエロヒムの原則に従い、ヤハウェに帰依しています。
この二つの意識は、古代文化の両極をなしています。


さて、注目したいのがシュタイナーの次の説。

◆ギリシアの神々は、アトランティス人の身体に受肉し、アトランティス人として、アトランティス人の王や祭司として、人びとと一緒に生きていました。アトランティス人の人体に受肉することで、地上の進化から学びうる事柄を学び取ってきたのです。

古代ギリシアの神々がアトランティス人だった!?

でも…
シュタイナーは、ゼウスは人間の中に働く
アストラル体の力の宇宙的代表であり、
ポセイドンはエーテル体の力の宇宙的代表であり、
プルートーは肉体の力の代表だと、
語っていましたよね。
どういうことなのでしょうか?


この矛盾に関して、次のように説明しています。

◆私たちのアストラル体の中に働く力の宇宙的な対応物は、外なる空間の中に拡がっていますが、それがあるとき人間の魂となって、一人の人間本性の中に集中して存在したのです。そういう本性がアトランティス時代にゼウスの個性となって地上を生きていたのです。ポセイドンやプルートーにも、同じことが言えます。ギリシア人がプルートー、ゼウス、ポセイドンと呼んだアトランティス期の人間の中に、宇宙の奇蹟の諸法則が受肉していたのです。


◆見霊的な眼でアトランティス時代の人間ゼウスを見てみましょう。そうすると、その人物の魂は、ますます大きくなっていき、アストラル体の力の宇宙的な対応物であることがわかるでしょう。ギリシアの神々でもあった他のアトランティス人たちの場合にも、同じことが言えるのです。


この地上世界は、どこからどこまで、
すべてがマーヤー(幻影)。
このことを理解すれば、矛盾はなくなるようです…。


ギリシアの神々は、アトランティス期に
人間となっていたことで、ギリシア期には必要な
人類段階を卒業していました。
ところが、自我意識だけは人間に
与えることができませんでした。

なぜでしょうか?
シュタイナーの説明はこうです。

◆自我意識は、特に地球紀の人間に与えられねばならなりませんでした。月紀の人間は肉体とエーテル体とアストラル体を発達させましたが、自我意識にまでは手が届きませんでした。このギリシアの神々(オリュンポスの神々)が月紀において学んだ創造原理のすべてには、自我意識が含まれていませんでしたので、この神々は地球紀の産物である自我意識を人間に与えることができなかったのです。肉体・エーテル体・アストラル体のためには、多くを人間に与えることができました。なぜならそれらの法則については、土星紀・太陽紀・月紀において人類よりも高次の段階を通過したこの神々は、よく知っていたからです。しかし進化からとり残されたために、自我意識の創造者にはなれなかったのです。

この点でギリシアのこの神々は、
自我意識の創造者であるエロヒム、ヤハウェとは
異なっているようです。

古代ヘブライの流れは、
自我意識に到るように導くすべての働きを
人間の魂の中に呼び起こすように配慮されています。

そして、他の流れは、
地球紀の進化を成就させるのに必要な
肉体とエーテル体とアストラル体のすべての力を
人間の魂の中に注ぎ込みました。

この二つの流れ、ギリシアとヘブライの流れの
融合によって初めて、キリスト衝動を受容することの
できる統一の流れが可能となったのです。


古代ギリシア人の魂は、
ゼウス、ポセイドン、プルートーの属する世界は、
人間にこの世の自我意識を直接与える可能性を
持っていなかったことをみごとに感じ取っていたようです。
それで、ディオニュソスの形姿を受容することで、
この感情に応えたのです。


(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-25 01:22 | シュタイナー | Comments(0)

シュタイナーは
「星々とは、神々が新しい
進化段階に達したあとで、
神々があとに残した身体である」

と述べています。

そして神々の魂は、この身体から離れて、
別の仕方で働き続けるのだそうです。

たとえば、ルツィフェルの場合、
自分の身体である金星から離れて、
地球紀の進化のために働き続けます。
しかし、ルツィフェルは、心の中に
真の故郷である金星への絶えざる憧れを
抱きながらそうするのです。

ルツィフェルを宇宙的な観点から考察すると、
このことが最も際立った特徴になっていると、
シュタイナーは言います。

そして、金星の霊的な意味についてこう語ります。

◆見霊的に見た金星の特質は、ルツィフェルの魂を洞察して、地球紀における悲劇的なルツィフェルの憧れを知ることによって得られます。そこにはポスポロス(光の担い手)、ルツィフェルまたはウェヌス(ヴィーナス)と呼ばれる「金星」へのすばらしい、宇宙的な郷愁が現れています。事実、死に際して、肉体が人間の魂から離れ落ちるように、ルツィフェルから殻のように捨て去られたもののすべて、月紀の死に際してルツィフェル的諸存在から飛び散っていったもののすべては、金星となって夜空に輝いているのです。

金星とは、宇宙空間へ去っていった
ルツィフェルの身体であり、
天空を運行するこの星に、ルツィフェルの
憧れは常に向けられているというのです。

古代ギリシア人の魂も、この金星と
ルツィフェルとの間の内的な結びつきを
感じ取っていたと、シュタイナーは言っています。

他の惑星の存在たちで、自分たちの真の故郷として、
別の天体に憧れる例は、数多くあるということです。


このように、進化の過程をたどった神々は、
地上の人間が死を迎えるときと同じ時点に達したとき、
みずからの物質成分を脱ぎ捨てて星を生じさせます。

しかし、キリスト神においては、地上での死に際して、
そういった自分の物質的な星を、霊化されなかった
残滓としてあとに残したりはしません。
完全に霊化して、人びとの魂と共に霊として
木星紀へ移行するのです。

これが惑星の神々とキリスト神の
本質的な違いなのです!


もしも、キリストが、ゴルゴダの秘蹟のあとで
もう一度肉体に受肉したらどうなるでしょうか?

そのときの肉体を通して、未来においてあとに
残るような星の最初の萌芽が生じてしまうそうです。


そしてシュタイナーは、こんなふうに話を続けます。

◆ゴルゴタの秘蹟の深い意味がそのときには、まったく成就されなくなるでしょう。ゴルゴタの秘蹟の意味が成就できなくなるほどに、キリストがみずからを否定しようとするとしたら、ただもう一度地上に生まれ変わってくるだけで十分なのです。そうすれば、キリストの物質的な本性が吸引点となり、そこに別の何かが引きつけられるでしょう、そして更に、同一の本性の繰り返される転生が、そのあとも続くに違いありません。そしてそれによってひとつの星が創られ、人類は未来永劫その星を憧れ続けるでしょう。

シュタイナーのいう「星」の霊的な意味を理解したとき、
キリストの出来事に込められた意味の大きさに、
ただただ驚くばかりです…。
未来(地球が進化の目標に達したとき)へ向けての
準備と考えればよいでしょうか。
みずからの魂を進化させ、転生のサイクルから
抜け出すときが来ているのだと、気づかされます。


◆そういう過去への憧れがキリストの本性によって生じるようなことがあってはなりません。ですから、ゴルゴタの出来事のあとで人間のからだに受肉する存在とキリストを結びつけてはならないのです。その肉体の存在がゴルゴタの秘蹟をみごとに否定してしまうからです。

キリストが肉身として現れるのは一度だけ。
だからそういう結びつけ方は、ゴルゴタの秘蹟が
わかっていないことを示しているのだと言います。
再臨するキリストは、エーテル存在となって
人びとの魂の前に現れるのです!
二十世紀に始まり、次第次第に、
未来になるに従って、人類全体のために、
このことが生じるようになるそうです。


さらに、シュタイナーはこんなことも言っています。

◆現代人が唯物論的な考え方をするのは、すべて、進歩を妨害する霊たちによるのです。そして、未来において人体に受肉することのできる存在たちだけに人類の救済を期待するとしたら、それもこの霊たちによるのです。実際、こういうことこそが唯物的な原則なのです。この原則によって人類は、霊的な存在を直観するのを妨げられています。なぜなら、それによって人びとは、肉体に宿る個性たちだけしか見なくなり、身体感覚で知覚できるものしか信用しなくなるからです。



さて、古代のギリシア人は、これまで紹介してきた
キリストに関する事柄については、
ゴルゴタの秘蹟がまだ生じていなかったので、
十分な直観を持っていませんでしたが、
ルツィフェルおよびルツィフェルと金星との関連、
そして他の星の神々とその星との関連については、
よく知っていたと、シュタイナーは述べています。

ギリシア人にとってこういう根源の叡智から生じた感覚、
感情のすべては、ディオニュソスの名と共に語られました。

ディオニュソスの名は、認識を求める古代ギリシア人の
魂の中に生きいきと甦る理念、感情もしくは魂の衝動の
前提となっているそうです。



☆ひとことメモ☆

シュタイナーが「キリスト神」と
呼んでいるのは「太陽神」のことのよう。

古代の太陽信仰との関連が
気になるところです…。



(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-23 00:51 | シュタイナー | Comments(0)

「ゴルゴタの秘蹟」と呼ばれるキリストの出来事に
秘められた深い意味とは何でしょうか?

シュタイナーは、キリストが人間となり、
ゴルゴタで秘儀を行った結果、
地球のエーテル界、アストラル界が完全に
キリストの本性に浸透された、と言っています。

(「キリストの本性に浸透された」というのは、
「キリストの愛と光に浸透された」という意味だと思います)

ゴルゴタの秘蹟以来、キリストは地球のエーテル体と
結びついて存在している、ということです。
そのキリストを見るために、人間の魂が進化を
遂げることが大切なのだ、とも語っています。

ところで、現在の地球の物質成分は、
カタツムリの殻のように、単なる殻でしかなく、
地球が進化の目標に達すると、
肉体が死に際して魂から離れ落ちるように、
人びとの魂の全体から離れ落ちるそうです。

地球が進化の目標に達したときは、
地球が崩壊するのですって!

それでは、地球が死を遂げたとき、
キリストの本体は、どこにあるのでしょうか?

地球の死体から抜け出る人類の魂全体に浸透するそうです。

キリストの本性は、人類の魂全体と一緒に、
霊的な領界へ昇っていき、のちに「木星紀」と呼ばれる、
地球の次なる物体化に到るということです。

キリストの本性は、その後も人類の進化を導きます。
地球の死に到るまでは物質界のそばに立ち、
自分のエーテル成分を地球の物質成分に浸透させ、
次いで地球が進化の目標に達したとき、
その物質成分を死せるものとして処理するのです。

キリストは、ゴルゴタの秘蹟以後、地上を生きるための
肉体を身につけたいという思いは何もあとに残していません。
これはすべての物質性の完全な断念を意味します。
これがゴルゴタの秘蹟と結びついた大きな秘密です。


さて…
地球の殻は、地球の死に際して抜け落ち、
そして、星となって輝き続けるといいます。

地球の外の、霊的存在たちの居住している諸惑星から見ると、
地球は天空に浮かぶ星となっているそうです。

まるでSFの世界みたいな話ですね。
そうすると、宇宙には一体どれほどの数の
星の物語が存在するのでしょうか。
私たちが知っている宇宙が、すごくちっぽけで
表面的で薄っぺらいものに思えてきます。


キリストとそのグループは、地球の抜け落ちた殻である
この星とまったく結びつきを持たなくなるのでしょうか?
そのようです。

ところが、たとえば、エジプト=カルデア期に
キリスト衝動を受け容れなかった霊的存在たちの場合、
地球の死後、宇宙空間に投げ捨てられた星への憧れを
持ち続けるのだそうです。実際、この星は
すばらしく壮麗な星であり続けるということです。

シュタイナーはこう説明しています。

◆キリストに属する人たちの魂は皆、地球の死後、この星を賛美するでしょうが、この星に憧れて、「この星は自分たちの故郷だ」、とは言わないでしょう。今地上を生きている魂たちが、火星に憧れることがないように、この人たちの魂や高次のヒエラルキアの魂は、その星に憧れることはないでしょう。その星に眼を向け、その星から有益な作用を受けるとしても、その星に憧れたりはしません。もしもキリストが地球の進化に関与しなかったとしたら、一体何が生じたでしょうか。そうしたら、全人類の運命が大きく変わって、地球が死を迎えたとき、人間と高次のヒエラルキアは、霊界の中で進化を続けながらも、すばらしい輝きを宇宙空間に放っている地球の殻の星にいつまでも憧れ続けたことでしょう。
キリストの働きを受けなかったら、人間たちは悲劇的なこの憧れを抱いて、木星紀から、地球の殻の星を見上げ、その星を賛美するだけでなく、「あの星がわれわれの故郷だ。われわれがあの星にではなく、ここにいなければいけないのは、悲しい」と言い続けるでしょう。


キリスト衝動が地球と結びつかなかったら、
こういう違いが生じるだろうというのです。

そして続けます。

◆地球から自由になること、未来の進化のために独立すること、これが地上の人間に対するキリストの使命でした。これがキリストの出来事の偉大な意味なのです。人類は、キリストを迎え入れたことで地球の未来へ向けて働くようになったのです。

形あるものへの執着は、魂の力を停滞させる…。
人類の進化の話は、個人の進化に置き換えて
考えることができそうですね。


シュタイナーは、他の惑星の存在たちで、
自分たちの真の故郷として別の天体に憧れる
ひとつの例を挙げて、キリストと対比させています。

その例とは「ルツィフェルと金星」ですが、
この話はまた次回ということで。
よろしくです。


(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-20 01:29 | シュタイナー | Comments(0)

今日は指導霊とキリストの関係に、
スポットを当てたいと思います。

シュタイナーは地球全体の進化との関連で、
キリストについて次のように述べています。

◆キリストはナザレのイエスのからだに、三年間受肉しました。これは一度だけの受肉でした。実際、その前にも、その後にも、それに似た受肉は生じませんでした。今後も生じないでしょう。キリストが三年間、地上において行った事柄は、地上の人間にとって必要なことでした。人間が一度地上でキリストを体験することは必要だったのです。しかし、ナザレのイエスのからだに三年間留まったキリストは、高次のヒエラルキアのあらゆる存在たちの指導者でもあります。キリストは包括的な宇宙存在であり、人類の進化のためにゴルゴタの秘儀を成就したように、高次のヒエラルキアの存在たちのためにも同様の行為を行ったほどに、時代の流れの中で、高次のヒエラルキアのすべての存在にとっても大切な存在でした。

キリストが生きたのは、人間がほかの人間に隷属し、
愛というものがあまり高く評価されていなかった時代でした。
物質界の最も低いところまで降りてきた人間の魂にとって、
一度キリストが肉体をもって現れることが必要だったようです。
なぜなら、当時の人の魂は、肉眼で見る身体の中でしか
神の姿を認めることができなかったからです。
しかし、この出来事が生じたことによって、人間の魂は
ますます高次の能力を獲得するように導かれました。

また、キリストは高次のヒエラルキアのあらゆる存在たちの
指導者でもあった、とシュタイナーは言っていますね。
エジプト=カルデア期の文化を発展させた天使たちが
高次の進化段階に達することができたのは、
エジプト=カルデア期の人びとを導くとともに、
霊界においてキリストの弟子になったからだということです。
キリストはエジプト=カルデア期において、
天使たちの教師だったのです!!

当時、キリストの衝動は、この天使たちの中に流れ込みました。
そして今、この天使たちは、キリスト衝動を受けた故に、
高次の進化段階に立っているということです。

しかし、その一方で、キリスト衝動を拒否したために、
停滞してしまった天使たちもいました。

要するに、エジプト=カルデア期には、
(ルツィフェル系の天使ではない)本来の天使たちの中に、
正常な進化を達成した天使たちと、達成しなかった天使たちの、
二つのクラスが生じたわけです。

エジプト=カルデア期にキリスト衝動に満たされた天使たちは、
霊的な生活へ導く力を人類に流し込んでいます。
しかし、キリスト衝動を拒否した他の天使たちは、
物質文化、物質科学のすべてを生じさせる働きをしました。

ですから、現代という時代には、
二つの流れが混ざり合って働いています。

純粋なキリスト衝動によって人類を霊性へ導こうとする働きと、
キリストの働きを拒否して、物質要素を人類文化に
流し込もうとする存在たちの働き、この二つの流れが、
私たちの時代に一緒になって働いているのです。


ここで、ひとつ疑問が出てきませんか?

本来の霊的指導者たちが地球紀に肉体をまとって
現れることはないはず。なのにキリストは、
三年の間、人間の姿に受肉して現れました。
どうして…?


シュタイナーはこう説明しています。

◆それはキリスト存在のすべての力、すべての衝動が人間、天使、大天使、人格霊という四つのヒエラルキアよりも本質的により高次だからです。私たちがその偉大さ、その豊かさを予感することしかできないほどの存在である大天使や人格霊をも超えているからです。この崇高な存在の力と衝動によって、三年間犠牲になって人体に受肉することが可能だったのです。


しかし、キリストが人間となり、ゴルゴタで秘儀を行ったことは、
別のことと結びついているのだと、シュタイナーはつけ加えます。

宇宙レベルで見た場合の、ゴルゴタの秘蹟の意味とは一体…。

この続きは、また次回に。



☆ひとことメモ☆

「キリスト」について

『ラムサ』によれば、
自分のすべてを神として表す人間、
自分のすべてを人間という形に表す神。
それが「キリスト」という言葉の意味だそうです。

人なる神、神なる人。

キリストとは、自分が神であることを知り、
しかもその真実を体現して生きる人のことです。


参考までに。



(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-17 23:10 | シュタイナー | Comments(0)

人類は太古からいつの時代も
霊的存在たちの下で進化を遂げてきました。

では各時代において、どのような霊的存在が
私たち人類を指導してきたのでしょうか?

その説明に入る前に、ここで簡単に
シュタイナーの宇宙論、歴史観を
紹介しておきたいと思います。

シュタイナーは、土星紀・太陽紀・月紀に次いで、
今の地球紀が生じた、と言っています。
そして地球紀は、ポラール期・ヒュペルボレアス期・
レムリア期・アトランティス期を経て、現在の
後アトランティス期に入り、後アトランティス期は、
古インド期(紀元前7227年~5067年)・
古ペルシア期(紀元前5067年~2907年)・
エジプト=カルデア期(紀元前2907年~747年)・
ギリシア=ラテン期(紀元前747年~紀元1413年)を
経て、現代に到っています。

この知識なしにいきなり読むと、頭の中で
混乱を起こしてしまうかもしれませんから。
実は、私がそうでした (^^ゞ
手元にある本の情報をまとめているので、
もっと詳しくお知りになりたい方は、
シュタイナーの著書などでお調べください。


それでは、まずは、エジプト=カルデア期の指導霊、
つまり、天使存在について、取り上げていきます。

『神々との出会い』の中で、
シュタイナーは、次のように説明しています。

◆人間に最も近い霊的な本性(東洋神秘主義の言う人間のすぐ上位に位置するディアン・チョハンたち、キリスト教の用語で天使と呼ばれる本性)たちは、かつて、現在の地球紀に先行する古月紀には人間でした。現在、人類を導いているこの天使たちは、その当時人類段階を通過しており、地球紀の始めには、現在の人類よりも一段階高次の位置を占めていました。そして地球紀の終わりに、現在の地球進化の目標に達した人びとは、月紀の終わりの天使の段階にまで到るでしょう。ですからこれらの本性たちは、人間に対する最初の指導を受け持つのに適しているのです。彼らは私たちの人類進化に直接働きかけています。

現在、人類を導いているこの天使たちは、
古月紀には人間だった、とシュタイナーは述べています。
でも、天使は人間になったことがない、という話を
よく耳にしませんか?
このあとの文章から推測するに、この天使たちは
人類段階を通過していますが、地球紀の私たちのような
肉体を持った人間として生きた経験はないと、
解釈できそうです。


◆同一の存在が繰り返して現れはしません。多様きわまりない仕方で変化していきます。天使が人類を直接独自に指導するのは、二つの後アトランティス期、つまりエジプト=カルデア期と現在の第五後アトランティス期だけなのです。エジプト=カルデア期の本来の指導霊は、天使たちでした。

【 注:第五後アトランティス期は1413年~3573年】


◆古代の言語では、神々という言葉で、この天使たちを示していました。

古代エジプト人が神々と呼んでいた人類の指導者は、
この天使たちのようです。


◆エジプト=カルデア文化における人類の指導霊たちは、まだ人間の肉体を担って現れることができませんでした。私たちの肉体は、地球の所産であり、地球の生存条件にまったく依存しており、地球紀に人類段階を通過する存在、つまりわれわれ人間だけが、肉体の中で生きる魂の在り方、魂の条件を備えているのです。


◆月紀に人類段階を通過した天使たちにとって、肉体という莢(さや)をまとうことは不可能なことなのです。地上に受肉することはできないのです。ですからエジプト=カルデア期の指導霊たちは、人間となって地上を歩き廻ったりはできませんでした。しかしその代わりに、霊界からの通信を受け取る見霊能力者たちがいました。彼らは、霊感を受けたとき、指導霊たちを眼前に見て、その霊たちを自分に憑依させることができました。この見霊能力者たちは、自分自身の体をそのために捧げました。


◆エジプト=カルデア期では、地上を歩む普通の人間たちも、見霊者でした。その人の言行、その人の教え、その働きは、まるで月紀に人類段階を終えた高次の本性の道具となっていたかのようでした。そのように、エジプト=カルデア期における人類の指導は、人類の進化が何ものにも妨げられずに、一直線に地球の目標へ向かっていけるようにすることでした。ですから月紀に人類段階を通過した天使たちは、エジプト=カルデア期の最も優れた見霊能力者たちに霊感を与えて、その人物たちを道具に用いて、王や祭司というエジプト=カルデア文化期の指導的人物を育てたのです。


◆このような指導霊たちのほかにも、別の個性たちがいました。それはルツィフェル系列の最も低い段階にあった天使たちです。この天使たちは、月紀に必要な進化を完全に終わらせておらず、月紀での人類目標に達していませんでしたから、地球紀の始まったとき、人間が地球紀の終わりに達するであろうような段階にまでは、まだ達していませんでした。

月紀での人類目標に達しなかったルツィフェルとは、
いわゆるルシフェル(ルシファー)のことなのでしょうか…。


◆この本性たちも、自分の力、自分の衝動をエジプト=カルデア期の人びとの中に流し込みました。しかし彼らはまだ人類段階を完全に終わらせていませんでしたから、肉体をもって地上を歩き廻ることができました。彼らは人体に受肉し、他の人間たちと同じ人間として生活していました。当時は、カルデア人やエジプト人だけでなく、すべての民族の場合に、そのような個性たちがいました。古来の伝説は、地上を歩いている人間でありながら、その魂は本来月紀からまだ抜け出せずにいる天使存在であるような、そういう人物たちのことを語っています。古代ギリシア人もまた、ケクロプスやカドモスのような英雄について語るときは、このような個性のことを語っていたのです。偉大な文化の指導者はすべて、神々の霊感を受けるだけでなく、肉体に担われた人間として他の人びとと一緒に暮らしながら、本来は人間ではなく、あとにとり残された月の存在たちだったのです。この個性たちは、英雄と呼ばれていますが、いわばルツィフェル本性の最下層の超人たちでした。

すべての民族の場合にそのような個性たち
(ルツィフェル本性の最下層の超人たち)がいた!?
古代日本にもいたのでしょうか…?
もしかすると、神話の中に登場しているかもしれませんね。


◆一体、この本性たちはどんな使命を帯びていたのでしょうか。そのことを考えると、宇宙の進化全体が、実に優れた秩序の下にあることがわかります。進化をまっすぐ目標へ向けて導く本性たちだけが正しい使命を持っているのではないのです。もしもそのような正常に進化を遂げた本性だけによって導かれるなら、人間はあまりにも速やかに、あまりにも容易に進化していくことでしょう。進化が正しいテンポを保つためには、妨害も必要なのです。進化には一定の重さがなければなりません。前へ向かって進む力は、抵抗を受けるたびに強くなっていくのです。進化に重みを与えるという使命を持っているのは、優れた宇宙の導きによって、月紀においてあとに取り残された本性たちなのです。

神の計画のなんとすばらしいこと!!


◆エジプト=カルデア期の事情をすべての文化期にあてはめるのは間違いです。古ペルシア期の場合、そのような天使たちは、人類を指導するのに、それほど独立してはおらず、大天使の下にもっと従属していましたから、古ペルシア文化期、つまりゾロアスター(ツァラトゥストラ)文化を霊的に中心になって指導したのは、大天使たちでした。一方、エジプト=カルデア文化は、天使から直接指導されていました。


◆見霊能力のあるエジプトの王や祭司たちが天使から霊感を受けたように、ゾロアスターやその弟子たちは、大天使アムシャスプンタから霊感を受けました。そしてヴェーダの中にその余韻がわずかに感じ取れるあの古インド文化にまで遡りますと、そこには「聖仙(リシ)」と呼ばれるインドの偉大な教師たちがおりました。彼らはもう一段高いヒエラルキアに属する人格霊、アルカイから霊感を受けました。そのような人格霊たちは、大天使や天使を道具として用いましたが、しかし当時は、後世よりもはるかに直接的に人びとを指導しました。インドの聖仙(リシ)たちは、そのような人格霊から霊感を受けたのです。


◆後アトランティス期では、このように、のちの時代になるにつれて、人類の霊的な指導をするヒエラルキアの位階が下がってきます。まず古インド期には、最も高い位階の人格霊が、次の古ペルシア期には大天使が、次のエジプト=カルデア期には、人間のすぐ上に位置する天使が指導の任に当たっています。

そして、私たちの文化期には、
エジプト=カルデア期の指導霊、つまり
月紀に十分に人類目標に達した天使たちが、
新たに人類の進化に働きかけているようです。
この天使たちもまた進化を遂げます。
なので、かつてよりも一層完全な存在になって、
ふたたび現れているそうです!

これ、よーく、わかります! ねっ!!



次に、ギリシア=ラテン期の指導霊についてですが、
シュタイナーはこう述べています。

◆ギリシア時代になって、まったく独特な状況が生じました。人類の指導霊だったすべての超人的な本性たちは、自分自身の問題に取り組むようになったのです。ですからギリシア=ラテン期の指導霊たちは、人間を最大限独立させ、人間に最大限の自由を与えました。なぜなら、この指導霊たちは、自分たちも人間から多くを得ようとしていたからです。ですから、ギリシア=ラテン期の文化は、自分自身の上に立ち、自己完結的であるような、あのみごとなありようを示しているのです。アトランティス文化の破局以来、人間がこれほど自立し、これほど自立を求めた時代はありません。ギリシア=ラテン期の人びとは、初めて自分の個性を確立しようと努めました。どうしてそうなったのかと言えば、ヒエラルキアの上からの指導の手綱があまり引かれず、この時代の人びとの運命が、これまでになく自分自身の手に委ねられたからです。

ギリシア文化という、神々から自立した人間的な
文化が生まれたのには、こういう事情があった!
納得できそうです。
神々を人間的に表現したのも、神々と人間との
結びつきが弱かったため、ということですね。


(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-14 01:26 | シュタイナー | Comments(0)

古代ギリシア人は、宇宙空間の中に働く
アストラル体の力の代表神をゼウス、
エーテル体の力の代表神をポセイドン、
肉体の力の代表神をプルートーと呼んでいました。

では、自我の力の代表神のことは、
どう呼んでいたのでしょうか?

それは、人間本性と深く結びついた神であり、
その運命、その生き方が人間的であるような神、
ディオニュソスです。

ディオニュソスは自我の中に働く魂の力の
宇宙的な代表なのです。

自我神ディオニュソスは、エレウシス秘儀の中では
最後になって現れます。

その理由を知るには、霊的存在たちが
私たち人間の地上生活、地上での生き方に
どのような働きかけをしているのかについて
まずは理解しておく必要があるようです。


各時代にどのような霊的存在が人類を
指導してきたのか…。
この話も、かなり興味深いです。

次回、詳しくいたしますね。


シュタイナーの話は、信じる、信じないの
レベルで読むと、大事なことを
見落としてしまいそうになります。

思考の幅を拡げ、心で読むと、
すばらしい気づきのもととなってくれます。

魂はすべて知っているのだから、
それを思い出すためのツボを
押してもらってる感じかな。

あ~効いた!
と、あとで実感することが、
けっこうあるんですよね(笑)


(続く)


☆追記☆

ちなみにユングは、超感覚的な自我のことを、
自我ではなく「自己」と呼びました。
「自己」とは無意識の自我のことです。





[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-11 01:15 | シュタイナー | Comments(0)

シュタイナーの考え方によると、
古代ギリシア人のいう「ゼウス」とは、
宇宙に拡大されたアストラル体の力の代表であり、
「ポセイドン」はエーテル体の力の代表であり、
「プルートー」は肉体の力の代表です。


もう少し詳しく説明すると、次のようになります。


私たちのアストラル体に対応する神霊の働き、
つまり、ゼウス(宇宙のアストラル体)は、
虹や朝焼け・夕焼け、稲妻、雷、雲、雪のような現象を
生み出す力のことで、その同じ力が、私たちの小宇宙の中で
思考内容やイメージを輝き出させています。
しかし、その思考内容やイメージは、一瞬にして輝き出、
短い間しか持続しないのです。現れたり、消えたりします。


また、エーテル体に対応する神霊の働きである
ポセイドン(宇宙のエーテル体)は、宇宙の拡がりを貫く
ゼウスの力よりも、もっと地球と密接に結びついている力、
風や天候、嵐、ハリケーン、凪、海面の波立ちなどを
生じさせる力のことで、同じ力が、私たちの内部で、
持続的な情熱や激情、習慣、記憶を生み出しています。
一時的な思いつきとは異なるため、魂の中で完結した
思考内容として現れるものではありません。


そして、肉体に対応する神霊の働きである
プルートー(宇宙の肉体)は、丸く固まった天体に
しっかりと結びつけられています。その同じ力が、
私たちの内部で、意志衝動を呼び起こしています。
この意志衝動を呼び起こす魂の力は、魂の中心的な力である
自我に語りかけるためにも必要な力なのです。
魂の生活におけるこの意志衝動は、ペルセポネの生命を
地下へ追いやりました。

肉体は意志衝動の表現なのです。
そして、アストラル体は単なる思考内容の表現であり、
エーテル体は持続的な感情と習慣の表現なのです。


ここで、話はちょっと飛びますが、

日本の『古事記』に登場するスサノオは、
「荒ぶる神」と呼ばれました。

この荒ぶる神は、なんか、ポセイドンの力の
働きを連想しませんか?

日本の神話を読み解くヒントが、
チラッと見えてきた気がします…。


(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-09 01:58 | シュタイナー | Comments(0)

古代ギリシア人の心や魂は、
現代人とはまったく異なる感じ方をしていました。
その一つが「自然観」のちがいなのだそうです。

つまり、私たちは、自然を魂または精神と対比しますが、
そもそも自然という言葉で現代人が心に浮かべるすべては、
古代ギリシア人の思考には存在していなかったのです。
精神を持たない自然現象など、まだ知らずにいました。
私たちの手を動かす行為が魂の表現であるように、
外の世界で生じたものすべては、古代ギリシア人にとっては、
神霊存在の行為だったのです。
精神と自然とは、古代においては完全に一致していました。

シュタイナーは、虹の真実についてこう語ります。

大宇宙では虹が、宇宙の母胎から生み出されます。
そして私たちの内部では、思考内容が私たちの魂の営みから
生み出されます。これは、古代ギリシアの賢人たちがすでに
知っていた関連であり、それを今私たちは、神智学を通して、
ふたたび学ばなければならないのです。私たちの小宇宙において
思考内容を輝き出させる力と、外なる大宇宙の母胎において
虹を生じさせる力とは、同じ力なのです。デメテルの力が
人間の中に入り、その中で働きかけるように、その同じ力が
外なる自然の素材の中から虹を形成するのです。
この力は空間の中に拡がって働いています。そしてその同じ力が
私たちの中で、小宇宙の中で働いていて、不特定な状態の中から
思考内容を輝き出させるのです。もちろん、今日の外的な
物理学は、まだこのような真実に触れてはいません。
しかしこれは、本当にひとつの真実なのです。


外の空間にあるものは、すべて私たち自身の内面にある、
と言っているわけです。
現代人は、自分自身の中に不思議な仕方で働く力と、
外の大宇宙に働く力との完全な一致を認識していません。
一方、古代ギリシア人は、自分の内部に、たとえば思考内容を
輝き出させる力の働きを感じ、そして外で虹を形成するのが
それと同じ力であると感じていた、ということです。

この話は、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)にも
つながっていきそうですね。

虹といえば、それを大空に発見したとき、いつも私は
「神様が祝福してくれている!」って思います。
とってもハッピーな気分になるんですよね。
神様に、このままでいいんだよ、って言われているようで、
心の中のもやもやが一気に吹っ飛びます(^^)。


さて、今日のような自然概念は持っていなかった古代ギリシア人。
彼らは、自然はすべて霊の力に貫かれていると、考えていました。

このことは、ギリシア神話の偉大な三神、
ゼウス、ポセイドン、プルートーの関係にも現れています。

小宇宙である人間の中に働くアストラル体の力は、
宇宙の中にも生きているのですが、そのような宇宙の力を
超人格的、超人間的に支配する者、そのような力の中心勢力を、
古代ギリシア人はゼウスと呼びました。
そして、私たちのエーテル体の力の宇宙的な拡がりをポセイドン、
肉体の力の宇宙的な拡がりをプルートーと呼びました。

古代ギリシア人は人間を宇宙の一環として理解しました。
小宇宙よりも、大宇宙の中に生きていたのです。


(続く)




[PR]
by angelgarden33 | 2009-03-07 02:00 | シュタイナー | Comments(0)