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☆今ここにある奇跡の光と共に☆ 花を贈るような気持ちで、日々の出来事や感動体験、映画『夢みる望遠鏡』のことなど、色んなことを綴ります♪


by 幸村みよ
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カテゴリ:シュタイナー( 32 )



ギリシア秘儀の本質とは、一体何なのでしょうか?

シュタイナーは、古代ギリシアの秘儀の中には、
魂の試煉の最も深奥の秘儀に私たちを導いてくれる
叡智が働いていた、ということを述べています。

ギリシア秘儀の弟子たちは、
一方では、無限の深淵を前にしての
恐怖と認識へ導かれ、他方では、利己主義の誘惑と、
すべての本性たちへの限りない同情、共感による
利己主義の克服とに導かれました。

弟子たちはまた、同情、共感を
思考と結びつけることによって、
試煉による魂の浄化を体験しました。


ギリシアの原悲劇、原演劇は、その体験の淡い、
まったく淡い模像だったといいます。

ギリシア悲劇は、舞台での行為を通して、魂の中に
恐怖と同情を喚び起こし、その恐怖と同情によって
魂を浄化(カタルシス)するためのものだったのです。

西洋の演劇芸術は、シェイクスピアを頂点として、
偉大な発展を遂げてきましたが、それは
古代の秘儀に発する、古代の秘儀の世俗化なのです。

そして、演劇芸術を原初にまで遡ると、
エレウシス秘儀に到るといいます。

演劇は古代の秘儀から生じたのです!



人間の魂は自分の神的自己に霊の開示
与えるように定められているようです。
そして、自分の魂へのこの信頼を失わないことが
大切だということです。


シュタイナーはさらにこう言います。

人間の魂は、世界に向き合い、世界を幻影と見、
この幻影の内部に宇宙の奇蹟が秘められていると
感じ取れる方向へ向かいます。

最初の魂の試煉は驚き、不思議に思うことでした。
試煉はそれからどんどん困難になっていきます。
しかし、魂は強さを持ち続け、円環を閉じ、
そして最後に霊の開示において、
宇宙の奇蹟の意味を知り、魂は試煉に打ち克つのです。


これが人間の魂の辿る道です。


しかし、人間の魂だけがそうするのではなく、
すべての神的ヒエラルキアも、
この道を歩むことを求め、
人間の魂の中でそうしているということです。


(完)



☆あとがき☆

シュタイナーコレクション4『神々との出会い』(高橋巌訳 / 筑摩書房)の
第一部「ギリシアの神話と秘儀」の中から、特に強く心に響いてきた内容を
紹介しながら、いろいろ書いてきたこの「ギリシア神話の世界の新しい歩き方」
シリーズは、一応今回で終了します。
書きはじめた頃は、5~6回か、多くても10回くらいで終わらせようと
思っていたのですが、結局31回にもなってしまいました (^^ゞ
途中からはタイトルと内容が合わなくなり、申しわけなかったです。
読み返すたびに、新たな発見や感動に出会えるのが、シュタイナーの本の
特徴でもあります。書きながら多くを学べたことが私にとってよかったです。
物足りなさを感じられた方は、ぜひ本を読まれることをおすすめします。





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by angelgarden33 | 2009-05-07 20:30 | シュタイナー | Comments(0)

キリスト衝動は、私たちをますます遠くへ導く。
シュタイナーはそう言っています。

キリストに導かれて、私たちは、
宇宙の彼方へ向かっていくときは、
意識が分散したり、飛散したりしないで、
上の神々(真の神々のイメージにすぎない神々)の
世界を見出し、また、自分の内部へ、
私たち自身の人間本性の領域へ下降するときは、
真の神々の世界へ入っていくことができます。

内と外、両方の世界で、
私たちを超えているものを見出すのです。


そして、私たちを私たち自身の中へ導くものと、
私たちを宇宙の彼方へ導くものとは、
最後に一つの円環となるといいます。

私たち自身が最後には、
私たち自身の外で出会うのです。


外の宇宙での私たちの思いと、
内部での私たちの意志とが
一つに結ばれるのです。

そして、意志に充たされた思考、
意志する思考になるのです。


意志する思考とは、何かというと、
神々の存在、霊的本性のことです。

なぜなら意志に充たされた思考こそが
霊の本性だからです。


こうして円環が閉じられます。

私たちはこのようにして、
私たちに向かってくる
魂の試煉を通過します。

自分を通過し、意志本性の別の側へ、
宇宙の側へ近づいていくのです。



さて、ここで話が少し脇道へそれますが…

今回取り上げた、円環についての話、
「私たち自身が最後には、私たち自身の外で出会う」
という話を読んでいて、ある歌のことが
脳裏に浮かび上がってきたのです。

それは皆さんよくご存じの『かごめの歌』です!


♪かごめかごめ かごのなかのとりは 
 いついつでやる
 よあけのばんに つるとかめがすべった 
 うしろのしょうめん だあれ♪



この歌詞の解釈はいろいろあって、
本当の意味はまだ解き明かされていないようですが、
誰かが後の世まで歌い継がれる子どもの歌(及び遊び)を通して、
(宇宙と人類の進化に関する)真実を
皆に教えようとしたものであると考えた場合、
まさに、シュタイナーが論じている内容と
ぴったり一致するように思えるのです。

「上の神々」をつる(鶴)として、
「下の神々」をかめ(亀)として
表現していると考えてみてください。

かごめ(籠目)は六芒星で、つまり大宇宙。
(「かごめ、かごめ」は、「神様、神様」と
語りかけているのかもしれませんね)

かご(籠)のなかのとり(鳥)は
小宇宙である私たちの中に閉じ込められた霊性、
あるいは見霊意識。

すべるは統べる、すなわち統合。

そんな感じで見ていくと、
どうでしょう?
何かピンときませんでしたか?



(続く)


☆追記☆

鶴と亀のことを書いたら、そこからまた
ちょっとしたひらめきが起こったので、
それを書いておきます。

『鶴は千年、亀は万年』
このことわざについてです。

昔から鶴と亀は長寿を象徴する
おめでたい生き物と言われてきました。
しかし、実際には、鶴や亀は千年も万年も生きられません。
それは誰もが知っています。
ではなぜ『鶴は千年、亀は万年』ということわざが
今日まで残ったのでしょうか。
考えてみると、不思議ですよね。

おそらく古代の人々は、『鶴は千年、亀は万年』の
真の意味を、伝承として知っていたのではないでしょうか。
それが時代と共に、本当の意味は伝えられなくなり、
ちがう解釈をされて今に伝わった…。ちがうかな。

つまり、こういうことです。
先に書いたように、鶴は上の神々、亀は下の神々を
表しているとしましょう。

そうすると、『鶴は千年、亀は万年』は、
それぞれの寿命のことを言っているのではなく、
亀=下の神々が古い神々であることを
この言葉によって表現しているのではないか。
そんなふうに思えたのです。

というのは、シュタイナーはこんなことを
語っているからです。

「太陽紀に、下の神々の系統は、地球を形成する、
濃縮された要素(地、水、風の元素)の中で、
古い神々として生き続けようとしました。
一方、上の神々の系統は、上の諸世界の軽い要素
(エーテル元素と呼ばれる、熱、光、化学エーテル、
生命エーテル)の中で生き続けました」


亀について言えば、
日本の神話や、古代の遺跡のモチーフとしても
よく登場するので、それらとの関連性も含めて、
引き続き探求していきたいと思います(^^)v





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by angelgarden33 | 2009-05-05 00:55 | シュタイナー | Comments(0)

私たちの現在の意識では、宇宙の秘密は、
宇宙の奇蹟としか心に映ってきません。
なぜこうなってしまうのでしょうか?

その理由をシュタイナーは
詳しく語っているのですが、
まとめると次のようになります。


私たちが自分の思考の力で
宇宙の彼方へ向かおうとすると、
現実の神々(霊たち)のイメージでしかない
上の神々(霊たち)の領域に入っていきます。
独立していない世界の中に陥るのです。
そうなると、魂はその空虚さの前で
限りない恐怖を抱くしかありません。

一方、自分の内面に向かい、
心の深層に降りていこうとすると、
これまで「地下の、真実の神々」と呼んできた
別の神霊世界に到ります。
しかし、この神々のところに入っていくためには、
最初に、諸世代にわたって生きてきたときの
衝動、欲望、情熱、激情、本能を、
通り抜けなければなりません。
その結果、私たちは自己中心的な利己主義に陥り、
自分をこの下の神々から切り離してしまうのです。

外へ向け、内へ向けて宇宙の秘密にふれようとすると、
現在の人間意識では、厳しい魂の試煉
さらされざるをえないわけです。

(※秘教的な意味で、魂の試煉とは、高次の世界に到るために、
一定の準備のあとでなければ持つことのできない体験のことです。)



ところが、キリスト衝動に浸透されて、
現在の意識形態を作り上げることができたときは別だ、
とシュタイナーは言っています。

そのときの私たちは、この意識で宇宙の中に
入っていくことができ、まったく新しい経験を
することができるそうです。
宇宙の彼方へ、空間の彼方へ向かえば向かうほど、
私たちの意識は豊かに充実していくのです。

また、キリスト衝動と共に自分自身の中に
沈潜すればするほど、利己主義は私たちに
悪影響を与えなくなるということです。
そうすると、人間の真の本性が認識できるようになり、
人間という宇宙の奇蹟の秘密が明かされるのです。



☆ひとことメモ☆

シュタイナーが言う「キリスト衝動」とは、
人類を霊性(神性)へ導こうとする働きであり、
愛や奉仕、感謝、共存、調和、素直、謙虚…
といった心の力のことのような気がします。


(続く)




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by angelgarden33 | 2009-05-02 01:11 | シュタイナー | Comments(0)

シュタイナーは、神々の系譜には二つあり、
一方は根源的に自分自身によって現実である存在ですが、
もう一方は土星紀、太陽紀、月紀の神々の現実化した
イメージそのものだ、と言っています。
そして後者の神々は、土星、太陽、月と進化を
辿る宇宙体をとり巻いているそうです。

根源的な神々のイメージにすぎない神々と、
根源的な神々との関係は、ちょうど私たちの思考内容と、
私たちの現実の魂の存在との関係と似ているといいます。

そして、根源の神々の思考内容にすぎない神々のことを、
これまで「ルツィフェル的本性たち」と呼んできました。

ルツィフェル的本性たちは、前進する神々が自分の姿を
認識するための鏡として存在していたのです。

小宇宙的な私たちの魂の中で生じるものは、
この大宇宙の模像だということです。
ただ、大宇宙の中で生じることが、
私たちの内部では、逆になって現れてきます。

すべての無意識をも含んだ私たちの組織全体は、
根源の神々の系統に由来しますが、
私たちの意識内容は、土星紀、太陽紀、月紀を
とり巻く神々の系統に由来します。





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by angelgarden33 | 2009-05-01 23:58 | シュタイナー | Comments(0)

私たちの脳は、私たちのアストラル体を
立ちどまらせるための一種の道具である、
とシュタイナーは述べています。

アストラル体の所産が
脳を通り抜けてしまわないように、
それを私たちの思考内容として
意識できるようにしてくれている
道具である、と。

(※ (26) 参照)

古代の見霊意識は、アストラル体の所産だけでなく、
エーテル体の所産をも立ちどまらせていました。

その結果、古代人は現代人よりもはるかに、
みずからの本性・自己・魂の素材によって、
認識内容を充実させることができたようです。


では、なぜ私たちの認識は
こうなってしまったのでしょうか?


地球紀を生きる私たち人類は、
現在の自我意識を発達させなければ
ならなかったからです。



自我意識を確かなものにするためには、
宇宙の現実から切り離され、
孤立させられなければなりませんでした。

そのために私たちの魂は、
宇宙の現実を客観的に認識する能力を
無限に弱めなければなりませんでした。


(そして、自我意識を発達させてきた私たち人類は、
今その進化の頂点に到達しているのだと思います!)



シュタイナーは、人間の言語中枢が左脳で
特に発達している理由についてふれています。


言語中枢が左脳で特に発達しているのは、
人間はこれまでの生活上のさまざまな条件に従って、
主に右手を使ってきたからだといいます。


脳のこの部分が傷を受けたり、麻痺したりすると、
言語が使えなくなりますが、通常の右利きの人の脳を、
左手を使わせることで刺激を与えると、
たとえば幼児期であれば、そういう外からの
組織的な働きかけによって、脳は右脳の前頭葉の
第三溝に言語中枢を持つようになります。


それが事実だとしたら、
言語能力が脳の組織によって生じる、
と考えるのは非常におかしいことになるわけです。


ですから、

脳の組織が私たちの言語能力を
生じさせるのではなく、
人間の活動が言語能力を
脳に生じさせる


のです。


神々は、ヒエラルキアの霊たちは、
言語中枢を生じさせることができるように、
人間を助けてくれました。
このことによって、外から言語中枢が
創られたのです。
言語中枢は言語から生じたのであって、
逆ではないのです。



シュタイナーはさらに
このようなことを語っています。

◆地球紀の私たちは、大宇宙の形成力によって、今こういう人間として存在しています。このことは外から私たちに働きかけ、私たちに形態を与えてくれたヒエラルキア存在たちの行為の結果です。私たちは本当に、大宇宙の成果なのです。言い換えれば、今の私たちは、私たちの手足の運動、私たちの身ぶり、手ぶりの成果なのです。私たちのからだの動きは沈黙の言葉を語ります。そしてそれまで言語の能力を持っていなかった脳に、この沈黙の言語を刻印するのです。


無数の霊的ヒエラルキアが
私たちに関わっているようです。

私たちの肉体、エーテル体、アストラル体の
すべては、霊的なヒエラルキアの
大宇宙からの活動によって、形成され、
与えられた、ということなのです。


(続く)




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by angelgarden33 | 2009-04-29 01:10 | シュタイナー | Comments(0)

心臓から脳へエーテルが流れ込んでいる。
そんな話を(23) (24)で紹介しましたが、
この流れの中にアストラル体の流れも
存在しているようです。

シュタイナーによれば、
心臓から頭への流れをよく観察すると、
エーテル体とアストラル体の両方の成分が
見出されるということです。


このエーテル体及びアストラル体の流れと、
脳が持っている機能との関連について、
シュタイナーはこんなふうに語っています。




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by angelgarden33 | 2009-04-25 01:10 | シュタイナー | Comments(0)

シュタイナーは、レムリア期に入る前、
現在の肉体のすべては、エーテル形態で
存在していた、と言っています。
当時の人間は、物質的な力を行使するときも、
エーテル形姿のままでした。

では、人間はどのような過程をたどって、
影のような姿から濃縮化を進めていったのでしょうか?

レムリア期以前の人体の影像には、
多様な流れが生じていたといいます。
高次のヒエラルキア存在たちが
働きかけていたのです。

まず、人間は高次のヒエラルキアの働きを、
下から、大地の地下から受け取りました。

レムリア期には、反芻類(※牛、山羊、羊、鹿など)を
形成した力、秘教が「牡牛」のイメージにまとめた力と
よく似た力が人体形姿に働きかけたのです。

そのあと、次第に大地の奥から、
別の力が人体に働きかけるようになりました。
それはライオン族に特に影響を及ぼした力でした。

そして、アトランティス期には、
大地から流れ出るこの力に、上から、
宇宙空間から鳥の形姿を生じさせる力、
秘教上「鷲」と呼ばれる力が加わり、
人間の中で相互に調和し合いました。

根源的な影の形姿がこれらの働きを受けた結果、
現在の人間形姿が現れたのだそうです。

哺乳類と鳥類の形態を霊的に見ると、
本質的に異なっていて、
哺乳類の場合には、アストラル体が
特に強力に発達していますが、
鳥類には、エーテル体の発達が顕著に
見られるということです。





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by angelgarden33 | 2009-04-23 01:11 | シュタイナー | Comments(2)

肉体を濃縮化させた力が、
人体組織の中で一種の逆転を生じさせて、
血液の最も精妙な部分は、ふたたび融解され、
エーテル成分に変化しつつある。

前回取り上げた、この血液のエーテル化の話、
気になりますね。
人間の霊化過程がすでに始まっている、
ということですから。

シュタイナーは
「人類の未来の見霊能力の準備こそが、
私たちの神智学なのです」
とはっきり述べています。
(今から約100年も前に、です!)

では、血液のエーテル化と
アセンションとの関連はどうなのか…。
その問題も気にかかりますが、
とりあえず、血液のエーテル化についての
シュタイナーの説明を引き続き紹介します。





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by angelgarden33 | 2009-04-19 02:14 | シュタイナー | Comments(0)

私たちは魂の深層に宝を秘めている。
シュタイナーはそう言っています。
それは、かつて神々が人間の中に組み入れてくれた、
神々のからだ、神々の実質のことです。
どんな人の中にも、その神々の成分が、
魂の奥底に備わっているのです。

この宝を意識の表面に引き上げるとき、
私たちは多くの不調和を自分の中に発見します。
なぜ私たちの内部は、こんなにも不調和なのでしょうか?
不調和を抱えることに、どんな意味があるのでしょうか?
このことは人類の進化そのものと
大いに関連しているようです。

その人類の進化について、
シュタイナーは詳しく語っているので
今日からはそれを紹介したいと思います。




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by angelgarden33 | 2009-04-17 02:04 | シュタイナー | Comments(0)

自分自身の本性へ到るために、
聖なる秘儀の伝授を受ける者にとって、
必要なことをシュタイナーはいろいろ論じています。

たとえば、次のようなことです。

◆通常の意識の所有物はすべて脱ぎ捨てなければなりませんが、それでもこの通常の意識の中の健全な常識は、担い続けなければなりません。そしてまったく別の観点から、この健全な常識を用いて判断できなければなりません。


◆通常の意識を断念することなしには、秘儀参入者であることができません。通常の外的世界の中で役に立つことを断念しなければなりません。そしてすでにそのとき現れてくる「魂の試煉」は、通常の外界から霊界への途上でも健全な常識を失わないでいることであり、しかも健全な常識を保っていたときに深い事柄だと思えたものを無価値と見なすことなのです。ギリシアの秘儀参入者にとって、外的な社会で体験してきたすべてを脱ぎ捨てて、まったく別な魂の在り方に到ることが必要でした。そしてこのことは現代の秘儀参入者にとっても必要なのです。



完全な自己に到るためには、
通常の知の在り方を断念しなければならない。
そういうことを言っています。

論理的に完璧であることは、
高次の関連においては、論理的に
この上なく不完全であることのようです。

(論理的にこの上なく不完全か…。
古事記の神話世界は、まさにそんな
イメージがありますよね!)


では、この秘儀の意味において、
ディオニュソスは、何者だったのでしょうか?

ディオニュソスは、見霊意識の前だけに現れる、
眼に見えない、偉大な教師だったのです!

若きディオニュソスは、
ディオニュソス秘儀参入者たちの
真の教師でした!


さらにまた、若きディオニュソスは、
その魂を一定の時期にふたたび個々の人体に
受肉させて、生まれ変わりました。

のちのギリシアにも新たに生まれ変わって、
プラトンになったといいます。
そして、ディオニュソスの賢い師シレノスは
ソクラテスになったそうです。

秘儀の衰退期に入り、秘儀参入者たちの中でも
若きディオニュソスを霊視できる人がいなくなったとき、
この同じ若きディオニュソスがプラトンとなって、
賢いシレノスであるソクラテスの弟子になったのです。


プラトンがディオニュソスで、
ソクラテスがシレノス!?

この生まれ変わりの話は、
何だか妙に説得力を感じます…。


(続く)




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by angelgarden33 | 2009-04-15 01:02 | シュタイナー | Comments(0)